集団にはしばしば『悪しき伝統』が存在する。
学校、部活、仕事…
おかしい、でも変えられない。
そんな伝統を断ち切ったお話。
悪しき伝統『挨拶練習』
私は高校時代、野球部だった。
ご存じの通り、謎の伝統にまみれた組織である。
トレードマークである「丸坊主」の是非から考えるべきなのだが、今回は割愛する。
我が野球部の悪しき伝統は『挨拶練習』である。
挨拶と言えば聞こえがいいが、実態は声出し練習。
※竹刀を持った先輩が巡回するというおまけ付き。
現代なら、Twitterにアップされて炎上するだろう。
この『挨拶練習』、恐ろしいことに私の1個上世代まで行われていたのだ。寸前回避。
先輩の尽力で廃止に至る
当時1年生だった私は、2年生から『挨拶練習』の話を聞いた。そしてこう言われた。
俺たちの代で…
挨拶練習を廃止するぞ
…今思い返してみても、勇気のいる決断だ。
こういうのって、問題が起きて外部に知れわたり、世間の圧力によって廃止されるものだと思っていた。
当然、一部の3年生からは批判もあった。
「今までやっていたのになぜ廃止するのか」
「礼儀知らずの1年生になるのではないか」
礼儀を知るのに竹刀は必要なのか…?
廃止の弊害を作らない努力
きっと告発すれば問題として取り上げられ、自然と廃止されただろう。でもそれが難しい理由もあった。
『世間の風当たり』だ。
こいつらは時に、予想外の方向に動き出す。
こんな高校
出場停止だ!!
それくらいの荒療治で解決しなければならない問題ではあるが、これだと結局『本人たちが悲しむ』ことに変わりない。『自浄作用』が働くのであれば、それに越したことはない。
勇気をもって廃止してくれた先輩に報いるため、私達は『礼儀知らずの1年生』というレッテルを貼られないように努力をする必要があった。
校舎の中では坊主の人間がいないか細心の注意を払い、先輩を捕捉したらそれとなく近づき挨拶をする、これを繰り返した。荒野行動がうまくなりそうだ。(やったことはない)
※これでもまだ異常に見えるが、気にしたら負け
「変える人間」になりたい
組織には、なぜ存在するのかわからない伝統、慣習、ルールがつきものだ。
最近は『満員電車の通勤』『都内一等地のオフィス』『学校の部活動』など、当たり前だと思っていた分野にも手が付き始めていて、非常にいいことだと思う。
自分は、『挨拶練習』に手をつけた先輩達のことを、結構尊敬している。
無駄なものを「無駄だ!やめよう!!」と主張し認めさせる力を、私も身に着けていきたい。
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世の中おかしいことだらけ、それでもあきらめている自分がいたりします。身の回りのおかしいことを、一つ一つ変えていけたら、もっとストレスフリーに生きられるんじゃないかと思っている今日この頃です。
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